こんにちは。
鈴木(晴)です。
ネクタイの柄として一般的なレジメンタルタイですが、その柄に小見があるのをご存じでしょうか。
今回はネクタイの中でもレジメンタルに着目して解説します。

(引用:ネクタイの歴史と進化)
ネクタイの起源
柄について話す前にどのような経緯があって誕生したのかから話します。
単純な首周りの装飾という意味では、まだ世界的な交流がなかった紀元前から世界各地で確認されています。
紀元前2050年頃の古代エジプト王朝の墓には首飾りを巻いた様子が描かれています。
また、聖書『創世記』の41章42節によると紀元前1737年にファラオがヨセフに金の首飾りを与えたという記述があります。
ただしこれらは金の鎖と訳されることもあり今でいうネックレスのような形だったと思われます。
紀元前210年頃、古代中国の秦の始皇帝の陵墓に見つかった兵馬俑の7500体ほどの首元に布を結んだ装飾があります。しかし、これ以降の中国の文献や絵画には首回りの装飾は一切登場しなくなります。

(引用:https://www.seiwa-nw.com/tie_history/)
西暦113年、古代ローマに建立されたトラヤヌスの記念柱には現在のネクタイに通ずるような布を首元で結んで垂らした人が2000人以上刻まれています。

(引用:https://www.nationalgeographic.it/)
そして現代のネクタイの起源に直接つながると言われているのが1618~1648年に起こった30年戦争です。
ドイツ(神聖ローマ帝国)のプロテスタントとカトリックの対立、オーストリア・スペインのハプスブルク家(カトリック)とフランスのブルボン家(プロテスタント)の抗争、オーストリア領ボヘミアの新教徒による神聖ローマ帝国への反乱等を発端とし、デンマーク・スウェーデンも参戦し宗教戦争から国際戦争へと発展。
オランダとスイスが独立する結果となり「最初で最後の宗教戦争」とも呼ばれています。
そんな戦争の中頃の1635年、傭兵としてフランスに訪れたクロアチア兵のスカーフがルイ14世の目に留まります。
彼は自身の部下に「あの兵士(の首元に巻いているもの)は何だ」と聞き、部下は「Croate(クロアチア兵)」と答えようとして「あれ(あの兵士)はCravat(クラバット)です」と答えてしまったといいます。
ルイ14世は部下の二つの勘違いに気が付くこともなく『首に巻いた布の装飾=クラバット』と認識してしまった。
これを上流階級の社交で取り入れ、徐々に一般市民まで広がりフランス全土で流行となったというのが現代に残るネクタイの誕生として一番有名な説です。

(引用:ルイ14世)
その後、イギリス革命真っ只中の1646年に後のイングランド国王となるチャールズ2世がフランスに亡命。
王政復古のため1660年にイングランドに戻り即位します。
その6年後の1660年に衣服改革宣言を発し、イギリスでもクラバットが広まっていきました。

(引用:チャールズ2世)
その後のスーツ全体の歴史については以前ブログで書いたこちらから。
1800年代初頭、それまで華やかさを競っていた紳士の服装が一変します。
「ダンディズム」と呼ばれる価値観です。

(引用:ボー・ブランメル)
模範となったのはジョージ・ブライアン・ブランメル(ボー・ブランメル)です。
彼は父親から3万ポンドを相続したものの当時の他の貴族はかなりの贅沢をしており、一週間にわたる誕生祝賀パーティでは6万ポンドを費やし、舞踏会の開催は8万ポンド以上を投じる上流階級には到底ついていける額ではありませんでした。
そこでブランメルは張り合って華美を狙わず、黄金の中庸(過剰と欠乏の両極端を避け、バランスの取れた中間こそが最善であるという哲学的な考え方)を美学として存在感を出そうとしました。
・上衣は少しのたるみもなく完璧にフィットし、自然と身体の線に沿わなければならない。
・そのためには、肉体の美しい線を保つための克己と鍛錬が必要である。
・上衣の生地は色彩においては地味であるが、識者の目から見て立派でなければならない。
・装身具の中で最も汚れやすい靴は、常に綺麗に磨かせねばならない。
・唯一創意工夫が許されるのはネッククロス(顎布でネクタイの前身)の結び方であるが、あまり凝った飾りつけをしてはならずシミ一つない純白の生地でなくてはならない。飾りと言えば細い時計の鎖一つのみで、香水は全く用いない。
・わざわざ田舎で晒させた下着を贅沢に使用する(都会は空気が汚いため)。
(引用:ボー・ブランメル-その生涯とダンディズム-/ダンディズム/ボー・フランメル~稀代のダンディ、栄華と没落の生涯~)
ボー・ブランメルは着付けに二時間もかけていたという記述もあり、相当なこだわりがあると伺えます。
この当時は産業革命真っ只中で当時のロンドンは霧の都と呼ばれ、石炭暖房の煙と排ガスが霧と混ざり合い、真っ黒な「スモッグ」が常に発生していました。
上記の田舎で洗うというのも時代背景がよくわかります。
ここで重要なのは、この当時はまだ真っ白な布をスカーフのように結んでいたということです。
現在のアスコットタイに近い形状です。
19世紀末~20世紀のヴィクトリア朝ではより実用的な装飾品を求めていた時代です。
サイズが大きく崩れやすいクラヴァットは郎党に適しているとはいえず、結び方によってはかなり時間がかかっていたためフォアインハンド・タイ(現在のネクタイ)、ボウタイ(蝶ネクタイ)、アスコットタイの3つに分岐していきました。
フォアインハンド・タイが主流になった背景として、それまで主流だったシャツの固い立ち襟が徐々に姿を消し、ソフトな折り返し襟が好まれるようになりました。
立ち襟はボウタイやアスコットタイの相性が良かったですが、折り返し襟はフォアインハンド・タイの収まりがよかったからと言われています。

(引用:ネクタイの歴史と進化)
ただし、当時のネクタイは大きな布を折りたたんだだけのもので、非常に結びづらくほどけやすいという欠点もありました。
そのため結んだネクタイを止めるピンやクリップが多く販売されていました。
その問題は1926年に解決しました。
アメリカニューヨークのネクタイメーカーだったジェシー・ラングスドルフが生地を斜め45°に傾けて裁断し、大剣・小剣・中つぎの3つに分けて縫製しました。
生地を傾けることで生地が伸びて結びやすくなり、裁断時の無駄が少ないことから現在まで変わらない製法となっています。
英国式とアメリカ式
一般的に売られいるレジメンタルタイは右上がりの柄になっていて、英国で古くから使われる伝統的な柄です。
軍隊や大学など自身の出身や所属を表す記号として広く知られています。

対してアメリカ式は柄の向きが右下がりと逆になっています。
一説にはボタンダウンシャツで有名なブルックスブラザーズが誕生させたとも言われていて、この画像は1920年頃のブルックスブラザーズのネクタイが展示してある様子です。

(引用:https://vintagedancer.com/1920s/history-1920s-neckties/)
その理由については英国式レジメンタルをつけた紳士が、アメリカの仕立て屋で鏡越しにこれと同じものをを注文したからというのが一番有名です。
しかしこれに信憑性はなく、むしろ舌が三枚ある英国人がアメリカを嗤うジョークのようなエピソードです。
服飾の歴史をまとめているヴィンテージダンサーというサイトでは下記の様に説明しています。
イギリスの仕立て屋は表地を上にして裁断するのに対し、アメリカの仕立て屋は表地を下にして裁断するため、ストライプの向きが逆になったというものです。
たしかにこれならば納得がいきます。
私は英国が好きなのでそちらしか付けませんが、最近アメリカ式のレジメンタルタイが入荷してきました。
これを実店舗で販売しているのはなかなか珍しいと思うのでぜひ店頭でご覧ください。
札幌パルコ店 鈴木(晴)


